ヨーロッパと近代世界(’01)  心に残った言葉

近代の世界は一つのまとまったシステム(構造体)をなしているので,歴史は「国」を単位として動くのでない。
すべての国の動向は,「一体としての世界」つまり世界システムの動きの一部でしかない。

「イギリスは進んでいるが,インドは遅れている」などということはなく,世界の時計は一つである。
現在のイギリスは,現在のインドと同じ時を共有している。

両者の歴史は,セパレート・コースをたどってきたのではなく,
単一のコースを押し合い,へし合いしながら進んできたのであり,いまもそうしているのである。

いいかえると,「イギリスは,工業化されたが,インドはされなかった」のではなく,
「イギリスが工業化したために,その影響をうけたインドは,容易に工業化できなくなった」のである。

今日の南北問題は,「北」の国が「工業化」され,「開発」される過程そのものにおいて,
「南」の諸国がその食糧・原材料生産地として猛烈に「開発」された結果,
経済や社会のあり方がゆがんでしまったことから,生じたのである。

つまり,「南」は何も手が加えられなかったのでなく,猛烈に「低開発化」されたのである。

近代世界においては,「南」と「北」は単一の世界システム,つまり,世界的な分業体制をなし,
それぞれの生産物を大規模に交換することで,はじめて全体の世界経済が成り立つことになったのである。

ところで,このような世界システムには,全体が政治的に統合されている「世界帝国」と,
政治的には統合されていないが,大規模な地域間分業によって経済的に結ばれている
「世界経済」と呼ばれるものとがある。

近代世界は,後者の原理で成り立っている。
ナポレオンやヒトラーのように,これを「帝国」に転換しようとする動きはときどきあるが,
歴史的には,いずれも主として財政的理由で,失敗に終わっている。

国連のPKO活動が同じ理由で危機に瀕していることは,
近代世界では,政治的統合としての「帝国」いかに非能率であるかを示唆をしている。
たとえそれが,「国連」であっても,である。

放送大学教材 「ヨーロッパと近代世界」 第1章 世界システムという考え方 (川北稔著) より抜粋


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