補助動詞としてのやりもらい表現は,待遇表現上重要な役割を果たしている。
外国人学習者の中には,この用法が十分理解できず,事実関係の叙述にのみ終始して,
田中先生がわたしに日本語を教えました。
友達がわたしを手伝いました。
母がわたしにセーターを送りました。
のような発話をくり返す者がいる。
また,教師のほうでも,「文法的に間違っていないはずだ」という学習者の自己主張に負けて,
こうした発話をそのままにしてしまうということもないとはいえない。
しかしそれでは,生きた日本語を通して日本人の言語習慣を知る機会がなくなってしまう。
日本語教育は辞書や文法書を与えることではない。
対人関係にもとづく日本語の表現としてこうした発話が不自然であることは教えなければならない。
しかし,不自然な発話を矯正しようとするよりは,初めから自然な発話を与えるほうが効果的である。
放送大学教材 「日本語教育概論」 第9章 「やりもらい」と待遇表現 (水谷信子著) より抜粋